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2014年10月09日

国道408号が学園都市内でクランク状に曲がりくねっている理由!

国道408号は、千葉県成田市からつくば市を経由して栃木県高根沢町に至る国道です。
そのうち、牛久市の学園都市南入口交差点から、松代交差点までが「牛久学園通り」と呼ばれています。
松代交差点はT字路となっていて、国道408号は右に曲がり土浦学園線の一部を構成します。
さらに、学園西交差点で今度は左に折れ西大通りの一部となり、西大通り入口交差点でまた左に曲がって東大通りの一部となって、田中交差点に至ります。

国道408号が学園都市内でクランク状に曲がりくねっている理由!

なぜ、国道408号はこのようにクランク状に曲がっているのでしょうか?
実は、TXや研究学園駅地区の計画ができるはるか前から、北大通りが西に延長できるような構造となっていたこととも関連しているようです。

【関連記事】


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南大通りが、本来は松代とも結ばれる予定だったという記事を以前書きました。

【南大通りが途切れている区間についての記事】

実は、南大通りで松代までを結ぶ計画は、最終的な計画の基本となった筑波研究学園都市のマスタープラン(第4次)には盛り込まれてませんでした。
第3次マスタープランまで入っていたのですが、土地所有者などとの交渉の結果、除かれたようです。

同様に、第3次マスタープランでは、松代交差点はT字路ではなく十字路となる予定でした。
つまり、国道408号は牛久方面から右に折れずに直進する計画だったのです。
(参考:国土交通省「筑波研究学園都市」のサイト

上の写真は、現在の松代交差点を牛久方向から北を向いた様子です。
国道408号が右に折れるため、右折車線が2車線あり、エキスポ大通りへの左折車線が1車線あるT字路となっています。
この左折車線と右折車線の間にちょうど1車線分の幅のゼブラゾーンがあります。
明らかに車線を意識した設計ですね。

松代交差点は、将来的に直進2車線と左折車線、右折車線それぞれ1車線を設けることができる設計になっているわけです!

国道408号が学園都市内でクランク状に曲がりくねっている理由!

第3次マスタープランの図が粗いため、どこを通る予定だったのかはっきりしませんが、松代交差点から先、国土地理院前交差点から古内交差点の間で西大通りに合流するのが当初の計画だったようです。
おそらく葛城小学校の西側を通り、蓮沼川沿いを北上する計画だったのではないでしょうか?

上の写真は西大通りが蓮沼川を渡る地点(蓮沼橋)です。
写真を見てわかるように、蓮沼川沿いは田んぼが広がっていて既存の集落を避けられるので、広い道路を通し易かったと思われます。

しかし、第4次マスタープランでこの道路計画が消えてしまったところを見ると、何らかの反対があったのでしょうね。

第3次マスタープランでは、この幻の408号につながるように北大通りや中央通りももっと西に延びる計画でした。
北大通りや中央通りが当初から西に延長できる設計になっていたのは、この計画に対応できるようになっていたからではないかと推測します。

1度消えた国道408号の松代交差点以北延長計画ですが、つくばエクスプレス(当初は「常磐新線」と呼ばれていました)の建設とともに研究学園駅地区の区画整理の計画を検討する際に再浮上したようで、どこかの資料でそのようなイメージ図を見た記憶があります。
結局、この計画は再び立ち消えとなり、現在に至るようです。

この計画が実現していれば、牛久・農林研究団地・松代方面から春日や大穂方面に抜ける近道になっていたでしょうし、学園西交差点の混雑も少なかったと思います。
また、松代から春日に抜ける昔の県道19号取手筑波線が抜け道になっていて狭い割に交通量が多いですが、計画が実現していればバイパスとなり、苅間の集落を抜ける交通を少なくすることができていたかもしれませんね。





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Posted by Science_City at 07:56│Comments(5)道路
この記事へのコメント
こんにちは
408松代交差点は明らかに延伸したくなる構造ですよね笑
マスタープランから削除された理由は、ひとつは苅間葛城集落の分断、もう一つは蓮沼川流域水田の接収でしょうが、恐らく大きいのは後者でしょう。
マスタープランは新規開発地域を旧来の集落や農地を基本的に避ける形で更新されています。これは当初既存地域を一切考慮せずに計画されており、旧谷田部地区を中心に大反発が起こったためです。
集落は当然かも知れませんが、この地域は1960年代にに区画整理や治水工事、用水工事などが行われ農業環境が大きく整えられたばかりだったこともあり、農地特に田が重要視されていたのです。
延伸されていた場合のルートは旧谷田部地区にあたり、まさに反対の強かったところ。現在も多くの水田があることを考えるとこのルートは強烈に反対されたに違いありません笑
Posted by ふぃー at 2018年02月11日 18:38
yuzuさん、こんにちは!

中途半端な形で途切れている道路にしろ、鉄道にしろ、もったいない気がしますね。
北大通りの場合は、用地を空けておけばいつか役に立つという設計者の意地というか先見の明が役に立ったのでしょうね。
松代交差点の場合は、この先に住宅地ができてしまったので、このまま幻になってしまうかもしれません。

圏央道の北への迂回は、確かに利根川と江戸川の2つの橋を造らずに済むというメリットがあるのですが、何しろ某政治家が建設大臣を務めた頃に計画が決まっているので、疑うなという方が無理な注文です。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年10月15日 00:40
北大通りは当初の計画と違ったとはいえ、
無事につながったのでよかったですね。

中途半端な形で途切れて放置されている道路は
やはりなんか気持ち悪いものです。

圏央道は、好意的に見ると大きな橋が一個で済むとか
茨城と千葉での圏央道のICの数の調整とかという見方もできますが、
やっぱりそういうことですよね・・・
Posted by yuzu at 2014年10月12日 21:40
yuzuさん、こんにちは!

もともとは、東西の大通りだけではなく、もう1本ずつ南北に抜ける通りを造る構想だったのですが、既存の集落や農地を抜けることに抵抗があったようです。
計画としては取り下げたのですが、復活した時に北大通りを延ばせるように用地を確保してあったのが、違った形で活用されたことになります。

こちらは、計画段階で取り下げたのでいいと思うのですが、東光台に抜ける道は都市計画決定されてルートも明確に決まった段階であの状態なので、困ったものです。

田中交差点から先の話は、wikipediaの国道408号の項にも載っていますね。
間が抜けているのが明らかに不自然ですよね。
圏央道の茨城県区間のルートが、某政治家の地元の方へ吸い寄せられるように曲がっているのも不自然ですが…。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年10月11日 23:05
なるほど。

これが北大通りが中途半端に終わっていた理由だったのですね。
研究学園から東光台に抜ける道もそうですが、
いつの時代も同じような悩みがあるんですね。

はじめにこの記事のタイトルをみたとき、
てっきり408号が田中交差点で途切れることかと思いました。
(そのあとクランク状に125号・294号と重複して真岡市で再び独立する)
こちらは某大物政治家が関わっていたという噂があるようですが・・・
Posted by yuzu at 2014年10月11日 20:52
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