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2014年09月12日

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

気が付くと、この記事が「研究学園の生活」のちょうど500回目になります。
結構書いたもんですね!

さて、学園都市の道路の交通量は、南北方向に走る学園西大通り、学園東大通りが多いものの、東西方向に走る道路は土浦学園線を除くと、あまり多くはありません。

それでも、研究学園駅地区の開発が進んで、新都市中央通り(勝手命名:エクスプレス大通り)につながる学園北大通りの交通量は増えてきました。
一方、学園南大通りは西大通りと東大通りをつなぐ役割しかなく、片側3車線を持て余している感じです。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

皆さんもご存じのとおり、当初の計画では南大通りは西大通りと東大通りを結ぶためだけの道路ではありませんでした。

本来は、西大通りから西へもさらに松代4丁目西交差点までつながる予定で、土浦学園線とともに松代への主要ルートになるはずでした。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

現在は、この通り「南大通り西交差点」から先へ直進することはできません。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

学園南大通りとしては、ここで終わっています。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

でも、実はこの「南大通り西交差点」は、T字路ではありません。
上の写真は、少し後ろから引いて撮ったものですが、二の宮方面から西大通りから左折して写真の右側から手前に入ってきたり、写真の手前から左折してつくば駅方面に行くことはできます。



上の地図を見るとわかりますが、半分だけ十字路が完成しているような形になっています。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

この地点で後ろを振り返ると、南大通りの用地は森にぶつかって途切れます。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

森の脇には田んぼが広がっています。
南大通りの予定ルートは、ちょうど森をかすめてこの田んぼとの境界あたりを通るルートだったと思われます。
この森は、個人宅の用地のようでかなり広い敷地に森が広がっています。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

そして、この森は上の写真の八坂神社の鎮守の森につながっています。
次に、松代側に行ってみます。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

松代の地区内には、往復4車線の立派な南大通り(となる予定だった道路)ができあがっています。
松代の地区内で止まっているので、ほとんど車は走っていません。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

立派な道路も松代地区の端で、ぷつりと途切れています。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

よく見ると、自転車で南大通りと地区外の道路が行き来できないように壁があります。

いつまでも途切れたままの学園南大通り!

学園都市の松代地区と、昔からの小野崎地区を隔てる壁のように見えてしまいます。



小野崎の地主さんが反対されて今の形になっているようですが、森は少ししか切らずに道路を造ることができそうですし、遺跡である小野崎城跡を通過せずに済みそうなので、何とかならなかったかという気がします。
南大通りが全通できなかったため、洞峰公園から手代木交差点に抜ける通りが代わりに造られたそうです。


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Posted by Science_City at 08:20│Comments(14)道路
この記事へのコメント
souさん、こんにちは!

確かに東大通りは交通量が多いですよね。
3車線にするには用地が無く大がかりな事業になるので、なかなか難しいでしょうね。
Posted by Science_CityScience_City at 2016年12月25日 14:44
夕方ラッシュ時、混雑するので、東大通りを全線3車線にして欲しいと思います。
Posted by sou at 2016年12月22日 22:03
コツ乙さん、こんにちは!

研究学園都市の建設にあたっては、いろいろな経緯があったようですね。
特に、農家からは収入源である農地の買収に強い反対があったそうですね。
だから、研究学園都市になったエリアはもともと森林や荒地だったところが多いそうです。

手代木西部地区は、TX沿線の葛城、島名や萱丸と同様に、区画整理地区の1つになる予定でしたが、途中で断念したという記事が過去の常陽新聞に掲載されていました。

万博記念公園駅(万博中央駅ではないですよね?)に南大通りを延長する計画は、あくまでも構想であって都市計画になったことはないと思います。
現在でも、構想は残っていて「つくば市都市計画マスタープラン」には構想路線として描かれています。
Posted by Science_CityScience_City at 2015年10月25日 13:34
南大通りと松代の四車線の道路が分断されているのは、研究学園都市の区画整理事業が中途半端な見切り発車で行われた結果です。
当初、この地へ研究学園都市が建設計画される以前に官庁都市建設計画がありました。
現在の研究学園都市の10倍の規模での用地買収が予定され、住民は全て秋田県の八郎潟干拓地への移住計画もあったようです。
当然、住民の反対に遭い結果的に現在の研究学園都市となりました。

筑波大学の建築を皮切りに次々と当時の国立研究機関(現在の独立行政法人)が建築され研究者用の公務員宿舎が建築されましたが、宿舎と研究所を結ぶ道路を優先させた結果、現在の西大通りはR345で途切れ、学園線も西は松代まで、北大通りは前記であるように西は春日で途切れていました。

このなんともマヌケな状況が現在の学園都市に近づいたのが1985年の科学万博による開発があったからです。

この時に前記にある同峰公園から手代木に抜ける道路も作られました。
当初南大通りの貫通が計画になりましたが、松代地区の区画整理事業計画時に手代木地区の一部の地権者と茨城県との確執により手代木地区は万博期間中のみの用地借り上げに留まりました。

ちょうど松代の四車線道路西側から万博会場までの大規模な駐車場が期間限定で作られましたが、万博終了後は地権者へ返還され現在に至るところです。

その後TX開通に伴い万博中央駅北側までの延長する都市計画がありましたが、現在その都市計画すら白紙になり、数年前南大通り全面開通を公約に県会議員に初当選した議員がいましたが、その後何も変わらない現状から察すると現状を打破するのは難しいようです。
Posted by コツ乙 at 2015年10月08日 15:27
l-supportさん、こんにちは!

以前はセブンイレブンの先で北大通りが行き止まり(正確にはT字路)になっていましたね。
あまりにプッツリと終わっているので、すごく違和感がありました。
当時の写真を撮っていたら今と比較できて良かったのですが…。

南大通りには、実はもっと遠大な計画(言い過ぎか?)が隠されているんですよ。
そのうち取り上げたいと思いますが…。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年09月15日 00:24
さーちゃんさん、こんにちは!

今であれば、もっと住民参加の手続きがあったのでしょうが、昔はここに決めたからよろしく的な進め方だったのでしょうね。
あと、農家の場合は農地が生活の糧なので、用地買収で一時的に金を手にするより、同じだけ収量が確保できる農地を代替地として用意することの方が重要だったそうですね。

実際は、代替地はあまり用意されなかったようですが。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年09月15日 00:20
こんにちは

研究学園地区が出来る前、北大通り(だったかな)は、西側が春日で行き止まりになっていました。

その後、研究学園地区ができて、新都市中央通りとして延長されました。

ってことで、行き止まりになってる道路も、いずれ延長される場合があるので、南大通りももしかしたら延長されるかもしれませんね。




ないなぁ・・・
Posted by l-supportl-support at 2014年09月14日 03:37
そうなんですよね、仰るように国の押しつけに近いところがあったので、地元の意向と関係なく道路の線が引かれたところもありました。
そもそも、研究学園都市の計画は国の方で勝手に進め、計画がほぼ固まったところで地元に示されましたから。
地元の人たちからみれば「話し合いも無しに土地を移れだと!?」だったんでしょう。
用地買収も良い条件を出したそうですが、やはり、農地を奪われる形になる農家の抵抗が特に強かったようです。
Posted by さーちゃん at 2014年09月14日 01:52
TDNさん、こんにちは!

つくば市内には、何か所か途中で行き止まりになっている道路がありますね。
ちなみに、つくば市のマスタープランでは、将来的な構想として南大通りの延長が挙がっています。
(今は、正式な延長計画はない状態です。)

区画整理の場合、用地買収をするのではなく地主さんが土地を拠出する事業なので、事業区域の境界では元の土地の形状が残るため、どうしてもギザギザになってしまいます。
これは賛成や反対とは関係なく、仕方がないことだと思います。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年09月13日 10:37
かれんさん、こんにちは!

研究学園都市の建設の際には、かなり反対運動があったようですね。
特に、農地を奪われる形になる農家の反対が強かったようです。
結局、今の学園都市地区は大部分が森林を切り開いてできたようですね。

小野崎の辺りは今でも農地なので、反対が強かったのだと思います。
(小野崎城跡の遺跡があることも理由の1つだったようですが)
ある意味国の押しつけに近いところがあったので、地元の意向と関係なく道路の線が引かれたところもあるので、地主さんに同情する部分もあります。

ある意味、成田空港の建設と似たような状況だったのかなと思います。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年09月13日 10:26
さーちゃんさん、こんにちは!

確かに、1度も舗装の打ち替えをしていない感じでしたね。
交通量が大したことが無いので、後回しになっているのでしょうね。

でも、もっと優先順位が高そうな道路の舗装(わだちで波打っている)もあるので、当分順番が回ってこないのではないでしょうか。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年09月13日 10:16
以前から松代の謎の四車線道路が気になっていたんですが、そういうカラクリがあったんですね。たしかに、グーグルマップで見て見ると、学園南大通りとちゃんと一直線になっていますね。

研究学園もそうですが、土地区画整理事業区域と元々の旧地域の境界が歪にギザギザになっていますが(特に学園南地域)、こういうところに、元々の旧住民と、学園都市の開発で入ってきた新住民との「壁」が見えてしまいます。
Posted by TDN at 2014年09月13日 00:37
元来、茨城県民は保守的な方が多いですが、
つくばに住んでいると、保守なのかエゴなのかと
考えさせられてしまう事案がとても多く感じます。

行政側の根回しが下手なのか、
そもそもそういう気質の土地柄なのか・・・。
道路だけとっても中途半端なのがとても多いですよね。
計画的なのか無計画なのか、便利なのか不便なのか、
何とももったいない街にも思えます。
Posted by かれん at 2014年09月12日 22:53
そのせいで、松代側の道路は初めて造られてから一度も舗装し直していないようで、かなりボロボロ・ガタガタになっています。
Posted by さーちゃん at 2014年09月12日 22:34
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