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2014年07月03日

苅間辻に建っていた昔の道標が八坂神社の境内にあった!

このブログの初期の頃の記事で、苅間辻の交差点にある道標を紹介したことがあります。
この道標は、交通事故で新しくなったと記憶しているといった内容を書きました。

【苅間辻の道標についての記事】




こちらは新しい道標です。
以前の道標は、事故で壊れてもう無くなったのだとばかり思っていました。



昔の道標に出会ったのは、ちょっとした偶然でした。
ある日、いつものように散歩をしていて、ふと八坂神社に立ち寄ってみました。



この八坂神社は、苅間十六郷の総鎮守(村の神様)だそうですが、旧葛城村は15村が合併してできているはずで、あと1つはどこなのだろうと少し悩みます…。
いずれにしても、旧葛城村を代表する神社であるということですね。



お賽銭を入れてお参りしました。
この神社もわずかながら木々に囲まれて、風格があります。

周りを見渡してみると、何やら石碑のようなものが建っています。



よく見ると道標です!
しかも、この道標には見覚えがあります。
これこそが、苅間辻に建っていた道標ではありませんか!

3つに折れて修復した跡が残っています。
やはり、車がぶつかって壊れてしまって、修復後に八坂神社の境内に移されたのでしょう。
「大正8年」と書かれていますから、もう100年近く前に建てられたということになります。

道標には、右手が「谷田部、羽成、若栗、牛久 四里」と赤字で書かれています。
苅間辻の交差点は、県道19号取手つくば線の旧道上にあり、松代辺りは旧道の痕跡が消えているものの、海道南交差点、谷田部診療所前交差点を経て、現在の県道143号谷田部牛久線につながります。
このルートを指しているのでしょう。



違う方向から見ると、左手が「手代木、大沼、舘野、荒川沖 四里」と書かれています。
こちらは県道123号土浦坂東線の旧道方向を指していたようです。
西海道交差点の先で折れて今の松代や西大沼を経て、赤塚交差点から今の県道273号館野荒川沖停車場線を通るルートのことを指しているのでしょう。



そして、「正面 一ノ矢、筑波街道」とあり、県道19号の旧道を指しています。
今の県道19号は国土地理院ところで西大通りに合流していますが、旧道は今の筑波大学の敷地を抜け、一ノ矢八坂神社の脇から大曽根を通り、北条に至るルートでした。

今の道標の位置にあったとすると、道標に示す方向の辻褄が合いません。
どんな向きで置かれていたのか謎です。
もしかして、道標の位置も昔と変わっているのでしょうか?

謎は残ったままですが、昔の道標が残っていたことには少しホッとしました。
地元の方々には大事にされているのでしょうね。





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Posted by Science_City at 08:17│Comments(19)歴史
この記事へのコメント
https://maps.google.co.jp/maps?sll=35.9983536,140.104315
しつこいようですが、こちらにもw
Posted by さーちゃん at 2014年07月25日 14:21
さーちゃんさん、こんにちは!

道標の情報提供をありがとうございます。
結構、いろいろなところにあるものですね。

こうしてみると、苅間の道標はひときわ立派ですね。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月24日 06:55
こちらにも。
https://maps.google.co.jp/maps?q=36.032163,140.129561

ちなみに、ネットの地図から、片っぱしから見つけているのではなく、「現地調査」で見つけています。
なので、調査に「ムラ」がありますw
Posted by さーちゃん at 2014年07月23日 21:09
一応、ここにも道標が。
https://maps.google.co.jp/maps?q=36.019381,140.114308

こちらは一緒に馬頭観音もあります。
Posted by さーちゃん at 2014年07月23日 14:01
ソルジャーさん、こんにちは!

いろいろ調べていただいてありがとうございます!
やはり谷田部は南方向を指しているのですね。
もやもやが晴れてきました。

八坂神社の別の道標の存在も今まで見つけられていなかったので、ありがとうございました。
また、散歩の時に見に行ってみたいと思います。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月21日 01:05
何か違和感があったので、更に調べてみたところ。
似た道標が藤沢の交差点に現存していました。

大きさも手の形も材質が御影石を使用しているところなど苅間と同じ
石屋が造ったものだとおもわれます。

設置は斜め45度になっています。字は赤くないのでハッキリと読めない
面もありますが小田 北條などはよく読めます。
しかしその方角が45度ずれています。これはへんだとおもったのですが
旅人が歩きながら交差点の道標を見たとき斜めに設置されていれば同時に
二つの面をみることができるのでこれは利便性を考慮した結果なのでしょう

施工は大正十年です。大正時代にいったい何があったのかとおもったら
大正八年に旧道路法が決議され主要な市町村に道路元標を設置することに
なったようです。
それに伴い村の青年会が指標道を積極的に設置したようですね

苅間の道路元標は辻の北西の角に設置されていたようですがどこかに
移動されてしまったようです。

もしかして八坂神社にあるのかもとおもい探してみたところ意外なものが…
もうひとつの別の指標道です。裏の防火水槽の近くに立っていました。



[左手が右を指している]妻木 柴崎 中根 藤澤方面

[右手が左を指している]高田 鬼ケ窪 金村 三里

[左手が右を指している]谷田部 羽成 若栗 牛久
[右手が左を指している]一ノ矢 大曽根 泉 北条 筑波

大正八年十一月 葛城村苅間青年會


北側の角に設置されていたようです。
ということは…!。南の道が谷田部です。
Posted by ソルジャー at 2014年07月20日 13:06
さーちゃんさん、こんにちは!

情報をありがとうございます。
結構いろいろなところに道標は残っていそうですね。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月19日 00:11
追記です。

https://maps.google.co.jp/maps?q=36.001666,140.103911
こちらも見つけましたw
こう見ると、残っているところは結構ありそうですよね。
Posted by さーちゃん at 2014年07月17日 14:05
私も昔の道標がある場所を知っていますよ。

https://maps.google.co.jp/maps?q=36.047112,140.105877
https://maps.google.co.jp/maps?q=36.047112,140.105877
前者のは圏央道のそばにあります。
もともとそこにあったみたいで、別に圏央道のために移動させられたというわけではなさそうです。
後者のは石碑というよりかは三角点の柱石みたいな感じです。
ちなみにその地点のそばを通る、国道6号とほぼ平行に走る道路は6号の旧道です。
いつ頃に6号が現在のルートに移ったのか分かりませんが、明治の頃はまだ(現在の)旧道のほうでした。
Posted by さーちゃん at 2014年07月17日 01:25
さーちゃんさん、こんにちは!

もう60年近く経っていますから、標識類は全滅しているでしょうね。
石碑のように彫ったものは長持ちしますから、どこかに残っているかもしれませんね。

「つくば新聞」のサイトは、非常に情報が充実しているので、いつも参考にさせていただいています。
あれだけ網羅的に情報を集めることはなかなかできないですね。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月16日 00:27
>「葛城村」はさすがに残っていないでしょうかね?
葛城村は1955年(昭和30年)3月までですから、それまでに作られたのだったら可能性があるかもしれません。

http://www.tsukubapress.com/jinja.html
こちらで調べてみますと、「弘法水」という湧水の跡があったようです。
あと、茎崎地区の高崎にある八坂神社に、競馬に関係するものがあるのというのは面白いですね。
Posted by さーちゃん at 2014年07月13日 02:49
yuzuさん、こんにちは!

確かに当時の事情は、現代の私たちには計り知れない部分がありますね。

当時は道は真っ直ぐ行った方が近いけれど、西回りで案内するような事情があったのかもしれませんね。

あそこの道路標識は貴重だと思います。
特に矢印の赤が消えてしまってもおかしくない年月が経っていますが、ちょうど直射日光が当たりにくい向きのようです。

>ほかにも谷田部町とか桜村とか記載のある
>標識や柱を見ると「おおっ!」ってなりますね(笑)

その感覚は良くわかります!
「こんなところに谷田部町!」という感じですね。
「葛城村」はさすがに残っていないでしょうかね?
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月11日 00:46
「谷田部・羽成・若栗」というのは
一見すると苅間辻をまっすぐ南(旧19号)というように
解釈しちゃいますよね。

石碑が何度か代替わりをしているかも、ということも考えると、
当時の交通事情や価値観なども影響しているかもしれないので、
今の価値観で正解を探す、というのが難しいのかもしれないですね。

ちなみに、苅間辻の東側の古い道路標識、結構好きです。
ほかにも谷田部町とか桜村とか記載のある
標識や柱を見ると「おおっ!」ってなりますね(笑)
Posted by yuzu at 2014年07月10日 23:02
yuzuさん、こんにちは!

南方向から、「手代木 大沼 館野 荒川沖」と通るルートもあったのですね。
確かに西大沼から荒川沖へ至るルートは自信があったのですが、苅間から手代木に至るルートの確信はなく結果的に予想外に西側でした。
確かに大鷲神社から遍照院近くを通って、肉のハナマサあたりを通る道路が痕跡を残している感じがします。

また、以前の道標もやはり今の場所に建っていたようですね。
私の微かな記憶だと面取りされたブロック塀に背を向けて立っていたような気もするので、ソルジャーさんが書かれていたように、45度斜めに建っていたのかもしれません。
そうすると、谷田部へは西方向を指しているというのが自然に見えますが、ソルジャーさんへのコメントにも書いたように、その場合谷田部へ遠回りになるので確信が持てません。
この点だけが私の中では謎のままです。

yuzuさんたちのおかげで少しずつ謎が解けてきました。
地域のこういう歴史を知ることをなかなか面白いですね。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月07日 01:09
ソルジャーさん、こんにちは!

まとめてのレスですみません。
わざわざ現地調査と聞き込みをしていただいての情報提供をありがとうございます。

やはり、今の場所に建っていて、斜め45度に建っていたのですね。
微かにそのような記憶だったのですが、自信がありませんでした。

…というのは、それでも腑に落ちない点がありまして、西方向が「谷田部、羽成、若栗、牛久」というのは遠回りになってしまうからです。
既に大正時代以前から、筑波街道(旧県道19号)は真っ直ぐ苅間を抜けていて、谷田部や羽成への最短ルートは、南方向のはずだからです。
確かに西大橋から大白硲を通るルートでも、結局筑波街道に合流するので間違いではありませんが、わざわざ街道が整備されたルートを外した理由の見当がつかないのが正直なところです。

新しくなった道標では、南方向が「谷田部 若栗 牛久」になっていますね。

それから、この古い道標も再建されたものだという説は、興味深いですね。
確かに、学園都市ができる前は地域きっての主要道路同士の交差点でしたし、何度も壊されて立て直されている可能性は大ですね。

>葛城の岩井線から谷田部へ行くY字路にも道標らしき破片が転がっています。

西大橋のかつらぎクリニック近くの交差点ですね。
情報をありがとうございます。
今度見に行ってみたいと思います。
Posted by Science_CityScience_City at 2014年07月07日 00:41
現地調査と地元ききこみをしてきました。

道標が置かれていたのは現在の新しい道標の場所です
その場所を見ると正三角形になってますが、
そこに斜め45度に置かれていたようです。

「正面 一ノ矢 筑波街道」が
辻の中心を向いてブロック塀側が大正と書かれた面になります。


「谷田部 羽成 若栗 牛久 四里」は西の方角の道です
葛城郵便局の前を通り
西大橋‐西岡‐島‐新井‐柳橋‐八幡台‐小白硲‐谷田部
つまり旧県道19号ということになります。

「手代木 大沼 館野 荒川沖 三里」は南の方角の道です


刈間の辻は昔は事故が多発していたそうです一年に何度も
有ったりしてその度に道標が倒れていたそうです
信号機が高いのが原因とか…。

八坂神社に保存されている道標は大正時代のものでは無く
レプリカの可能性があります。今までに何度も破壊された
との話でしたので。
新しい道標にも大正と書かれていますしね。


この交差点には、かつて四つの道標がそれぞれの角に
有ったのかもしれません残っているのは最後の一本なのかも?。


話はそれますが、
研究学園都市の入口に四つの門が建っていますがその中心は
刈間になっています半世紀前は交通の要所でしたので
葛城村を意識した設計だったのでしょう。
Posted by ソルジャー at 2014年07月05日 18:56
ちなみに参考にしたのは
大正10年の5万分の1の地図なので、
道しるべが建てられた大正8年当時の
情勢にほぼ合致していると思います。
Posted by yuzu at 2014年07月05日 00:50
こんにちは

この道しるべ懐かしいですね。
昔は交差点のどこにあったのかといわれると記憶は曖昧ですが、
確か新しい道しるべがあるところだったような気がします。
すると道しるべの示している方向が合わないですよね・・・

なんとか合わないものかといろいろ考えましたが、
向きや場所をいろいろ検討しても納得する解がありません。

さじを投げかけましたが、ちょっと前に国土地理院で手に入れた
古地図を見て解が得られました。

(おそらく)答えは、場所は新しい道しるべがある場所で、
向きは「正面」が北向きです。

すると、側面の指が示している方向が両方とも南向きとなり
西側から見ると「谷田部 羽成 若栗 牛久」
東から見ると「手代木 大沼 館野 荒川沖」
になると思います。

この場合、一見「手代木・・・荒川沖」があれ?ってなりますよね。
でもこの経路というのが、古地図によると、
苅間辻を南に行って、ステーキ宮・国道408号の交差点のあたりで
谷田部に向かうメインストリートから分岐する経路として
存在しているのがわかります。

この道は国道408号の西側の遍照院(かつての手代木の集落)、
西大沼の天満宮のあたりを通ってそのあとは県道273号にほぼ沿って
荒川沖に至るようです。

側面の2つの案内が両方とも同一方向(南)を指しているというのが
ミソだったようですが、今となってはわかりにくいですよね。
Posted by yuzu at 2014年07月04日 23:39
正面とは、まっすぐ前という意味ですから筑波山の方向ですから一ノ矢です。
手は左右ではなくこの先を意味しています。
土浦方面から県道123号(岩井線)を来たとき
この先が谷田部ということですね。
葛城の岩井線から谷田部へ行くY字路にも
道標らしき破片が転がっています。
Posted by ソルジャー at 2014年07月04日 23:10
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